昨年は、「核」が日本や世界を振り回した一年だった。北朝鮮の二度目の核実験、佐藤栄作総理とニクソン大統領との核密約文書の発見。また、オバマ大統領が「核なき世界」を訴え、ノーベル平和賞を受賞した。
2010年は、終戦から65年、そして日米安保締結からちょうど50年にあたる。核による戦争終結から65年経っても、世界は核兵器の恐怖から逃れられない。
日本に生き残る被爆者の平均年齢は75歳を超え、被爆者の数は年々減り続けている。広島、長崎で二度被爆したことで知られる山口彊さんも昨年亡くなられた(享年93)。長い年月は「悲しみ」や「怒り」、そして「恐怖」をも風化させていく。「アバター」で知られるジェームスキャメロン監督は、この「二重被爆」を題材とした次回作を、今年になって断念せざるをえなくなった。理由は「実在しない人物の表現を伴う疑いがある」からだという。馬鹿な事をい言うな!映画というフィクションに「実在しない人物が出て来て何故悪い?」
人類史上、核兵器が民間人の殺傷目的で使用されたのは1945年8月6日のヒロシマ、9日のナガサキの二回だけである。ニュルンベルグ裁判で裁かれた、ナチスドイツNo.2だったヘルマン・ゲーリング元帥は、アメリカの心理分析官に「ネズミを殺すのと同じ、それがユダヤ人虐殺の哲学で、犠牲者は人間だと思わなかったんだろ?」と聞かれ、次のように反問したと言う。「では聞くが、原爆投下は何だったんだ? アメリカは戦争が続いていたら、ドイツに原爆を落としたか? いや違う。アメリカ人にとって白人の命は日本人よりも重いからだ」。
「日本が語り継がなければ」
被爆し、アメリカの核の傘の下で戦後を生きてきた日本だからこそ、いま語り継いでいかなければならないことがある。それは、「核」の本当の怖ろしさ。どんな死に方よりも非道い、放射能汚染という生命への冒瀆を許さないこと。
「広島に原爆を落とす日」は作家つかこうへいにより、1979年西武劇場(現在のパルコ劇場)で上演されて以来、1984年野性時代で小説として発表され、何度かの舞台上演を重ねながらもいまだ未完の大作として語り継がれてきた作品である。 伝説とも呼べる名作が、発表から30猶予年、ついにシアターコクーンでその全貌を明らかにする。
人類が、3度目の投下ボタンに手をかけない為に。